round7『仕事がないっ!』

  明日のために、その一。行動は迅速かつ精力的に。
 「それでは二次選考の面接室にお通し致します」
  見目うるわしき人事のお姉さんに案内されて、俺を含む三名の求職者は戦場への門をくぐ
 った。
 先頭を切ったのは、高校球児のような細マユが特徴的な体育会系男子。続いて紅一点の地
 味目の女子。俺はしんがりを務めた。
  狭い会議室にはすでに三人の面接官が待ちかまえており、部屋の中央には安っぽいパイプ
 椅子が三つ並んでいる。普段は空き部屋となっているのか、室内に事務用品は少なく、窓を
 覆うブラインドが殺風景な印象を与えていた。どことなく取調室っぽい。
  出入口に近いパイプ椅子に腰かけて、中間管理職風の面接官と相対する。
 「各自一分以内に、簡単な自己紹介とスピーチをお願いします」
  挨拶もほどほどに、さっそく本題に入る面接官。
  この手の自己アピールでは、内容の豊かさよりも、限られた時間内にいかに要点をまとめ
 た説明をするかが鍵となる。と、リクナビからのメールに書いてあった。まずはお手並み拝
 見ってわけか。
  細マユと地味子が、背中に針を通したようなかしこまった姿勢で、はきはきと自分語りを
 はじめた。大学ではアウトドア系のサークルのサブリーダーとしてみんなをまとめるのが云
 々。在学中にも就職活動をしていたが、一生付き合えるような仕事がしたかったので云々。
 どちらも非常にお上品で、形式に沿った自己アピールだった。
  いよいよ俺の番が回ってきた。
  人生初の採用試験。否が応にも緊張するというものだ。
  だが、これしきのことでつまづいていては、大願を成就することはできない。
  シゲルのやつにいっぱい食わせてやるためには、俺はこれからいくつもの障害を越えてい
 かなくてはならないのだ。
  明日のために、その二。何事にも臆すべからず、だ。
  小さく深呼吸をして心頭滅却。
  心配ない。やれるさ。
 「夏見智史、二十二歳。私には御社に入社して成し遂げたい夢があります」
  目の前でふんぞり返っている面接官に向けて、俺は意志を解き放つ。
 「憎き渡貫茂をフルボッコにして、社会的に抹殺することです!」
  その瞬間、ザ・ワールドが発動したかのように、面接室のときが止まった。
  はっと我に返ると、面接官のみならず、細マユと地味子までもが、ぽかんと口を開けて俺
 を見ていた。
  ……ヤッチマッタ。


  今朝の面接での失態は俺の心に暗い影を落としたが、そんなことでいつまでも気を落とし
 ていられるほど今の俺は暇じゃなかった。やるべきことは山積みなのだ。
  明日のために、その三。時間は有効に活用すべし。
  さしあたってこの日の午後は、就職活動以外にも用事があった。
  だから面接を受けた帰りに細マユから「おい、メガンテ野郎。同じ穴のむじな同士、どっ
 かで昼飯でも食ってかねーか」と誘われても、たそがれ清兵衛さながらに丁重にお断りせざ
 るを得なかった。つれないやつでサーセン。
  細マユが地味子と連れだって喫茶店に入っていくのを尻目に、俺は現在のホームである中
 野の街へと戻った。早稲田通りから薬師あいロードに入る。
  薬師神社の下がりにある、文化のチャンプルー然としたサンモールとは対照的な、下町情
 緒溢れる中野のもうひとつの商店街。その路地裏に、目的の事務所があるはずだった。
  今の俺に必要なもの。セレブレティに返り咲くための軍資金や、その足がかりとなる職は
 もちろんだが、もうひとつ忘れてはならないことがある。
  つまり、シゲルの横領を白日の下に晒すこと。
  将来的にはやつを告訴し、法の下に親父の汚名をそそがなければならない。そのためには
 腕利きの弁護士を雇う必要があるが、親父の行方がわからず軍資金も心許ない現状では、そ
 れは難しい。
  そこで俺は、私立探偵を雇ってシゲルに関する調査を任せることにした。なるべく優秀
 で、自由に動けるやつがいい。それでいて金もかからなければ文句なしだ。
  そんな都合のいい探偵事務所は簡単には見つからなかったが、あるとき、中野の街角で、
 一枚のビラが俺の目を引いた。
  街のいたるところに貼られている、犬の顔がプリントされた有名な探偵社のポスター。そ
 の脇に、いかにも儲かっていなさそうな、ショボい探偵事務所のビラが貼られていた。
  スーパーの特売チラシみたいな二色刷りの広告には、「確かな実績と信頼できる調査力
 で、あなたのお悩み、ズバッと解消します!」という文句に添えて、事務所の住所が書かれ
 ていた。
  見るからにうさん臭い文面だったが、俺は一か八か、その探偵事務所に賭けてみることに
 した。
  しかしどうやら、その判断は誤りだったようである。
 「うさん臭いってレベルじゃねぇぞ……」
  紙にメモした地図に従ってたどり着いた先は、場末感漂うレトロな喫茶店。
  インチキ占い師みたいな風貌の店主の説明によると、お目当ての探偵事務所は同じビルの
 二階に間借りしているらしい。
  店の奥にある階段を昇り、ファンシーな花の模様で彩られた『武蔵小路探偵事務所』の表
 札の前に立つ。本当にこんな場所に確かな実績と信頼できる調査力の探偵が住んでいるのか
 と半信半疑になりながら、俺はチャイムを鳴らした。
  が、いくら待っても応答はなし。
  ためしにドアノブに手をかけてみると、意外や意外、チーク材のドアはすんなりと外側に
 開いたのだった。
 「すいませーん、誰かいますか」
  ドアの隙間から呼びかけてみるが、やはり返事はなかった。このままでは埒が明かないと
 思い、おそるおそる中に足を踏み入れる。
  すると強烈なアロマの匂いと大音量のギターサウンドが、俺の耳鼻を強襲した。
 「なんだここは……」
  すぐさま俺は目の前に広がる異様な光景にのまれた。
  アロマが発する煙に包まれた狭い室内は、床に無造作に積み上げられた本や、わけのわか
 らない雑貨であふれ返っている。石ノ森章太郎作品の等身大フィギュアや、異国のものとお
 ぼしき工芸品、用途不明のマネキンに、七色の光を放つトールランプ。探偵事務所というよ
 りも、某集落の先導者(直訳)の店内を連想させる空間だった。
  カラーボックスに面積の半分を奪われた壁には、ところどころに映画のポスターが貼られ
 ている。『レザボアドッグス』に『スケアクロウ』。学生時代、『トレインスポッティン
 グ』やら『プリティウーマン』やらのポスターを額に入れて飾っている連中はごまんと見て
 きたが、どうやらここの住人は、そいつらと比べてたいそう渋い趣味の持ち主らしい。
  この時点で俺はすでにあのビラに書かれていた内容が虚偽のものであることを確信してい
 たが、この怪しさ全開の事務所に住んでいる探偵がどんな人物か、なかばヤケに近い興味を
 抱いていた。
  林に分け入るつもりで部屋の奥に進むと、花柄のカーテンを背に、一人の女性が事務机に
 突っ伏していた。事務机の上には、彼女の飼い猫らしきペルシャ猫も丸くなって寝転んでい
 る。
  女に近づいて耳をそばだてれば、ぐーぐーという気持ちよさそうないびきが聴こえてく
 る。このいい加減な女が部屋の主であることは、もはや疑いの余地がない。
 「おい、起きてくれ。あんたに仕事の依頼をしに来た」
  キャミソールからのぞく細い肩を揺すってみるが、返ってくるのは機嫌の悪そうなうなり
 声ばかり。
  腹が立ったので卓上にあったレコードプレイヤーを勝手に止め、ついでにアロマの火も吹
 き消してやった。気を取り直して再度肩に手をかけると、今度は眠たそうな声で「もー、家
 賃なら身体で返すって、毎回言ってるじゃないですかぁ」との、寝言とも独り言ともつかな
 い返事をいただいた。いったいどういう生き方してるんだ、この女。
  いよいよ我慢の限界を迎えた俺は、「起きろって!」と越中詩郎ばりに声を荒げた。それ
 でようやく女は飛び起きた。ついでに猫も跳ね起きる。
  女はイームズチェアの上で、目やにの取れない目をぱちくりとさせている。
 「は? なに? お兄さん誰ですか? 強盗ですか、婦女暴行ですか。私なにされるんです
 か〜!」
 「ふざけんな、俺はあんたに仕事の依頼をしに来ただけだ! あんた探偵なんだろ?」
 「あ、な〜んだお客さんかぁ。それならそうと、最初に言ってくれればいいのに」
 「言ったっつーの!」
 「聞いてねぇっつーの! 寝てたっつーの! こちとらヴェルヴェッツで睡眠学習してたっ
 つーの! アルファ波ビンビンだっつーの!」
  爆睡していたかと思うと、今度は逆ギレときた。室内に不法侵入にした俺にも少なからず
 非はあるが、それにしてもなんなんだこの女は。フリーダムすぎる。
  女は椅子にふんぞり返って、ぶつくさと文句を垂れている。
  性格はまったくと言っていいほどつかみどころがないが、よく見るとそれなりに美人だ。
 歳のころは二十代後半くらいだろうか。すらっとした上背に、肩でカールした黒髪とフレア
 ジーンズがよく似合っている。
 「おっと、申し遅れましたが、私こういう者です」
  俺を客だと認めたのか、女は急にかしこまった口調になり、事務机から取り出した名刺を
 差し出してきた。そこにはオレンジ色のにょろっとした字体で、私立探偵・武蔵小路浪子と
 書かれている。
 「むさしこうじ……ろう?」
 「違う違う、なみこって読むの。中野の名探偵、武蔵小路浪子とは私のことよ。覚えとき
 な、ジャリボーイ」
 「自分で名探偵言うな。っていうかジャリボーイ言うな」
  いちいちやりづらい女だ。この自称名探偵と話していると、どうもペースが狂ってしま
 う。
 
  そんな俺の心配をよそに、武蔵小路浪子と名乗る女は長い脚を組み、ぱっちりと開いた瞳
 を光らせる。
 「じゃ、商談しよっか」

  俺は目の前でまつ毛をいじっている女をどうしても名探偵とは信じられなかったが、それ
 でも結局はここに来た経緯を打ち明けることにした。そうでもしなければ、何のためにこん
 なへんぴな場所に足を運んだのか、わからないからな。
 「ふ〜ん、それであの敏腕経営者をこらしめてやりたいってわけ」
  浪子は膝の上で飼い猫の毛繕いをしながら、退屈そうに俺の話に耳を傾けていた。
 「ああ、やってくれるか?」
 「いいよ。ここんとこ浮気調査ばっかで飽き飽きしてたとこだし。ま、報酬次第だけどね」
 「報酬か……いくら払えばいい?」
 「そうねぇ。調査費用込みで、手取り八十万ってとこかな」
 「帰る」
  ぼったくり価格提示されてから百八十度転換余裕でした。こんな本当に仕事ができるのか
 もわからない怪しげなやつに、そんな大金支払えるわけがない。
  部屋を出ようとする俺の腰に、事務机を飛び越えてきた浪子の腕が絡みつく。
 「待って、今の冗談! ちゃんと計算するから! サトシくんが仕事くれないと、今月マジ
 ヤバいんだってば! 人助けだと思って、ね?」
  神様仏様サトシ様、といって一心不乱にしがみつく浪子の腕を、俺は必死で振り払う。
 「知るかそんなの。あんたみたいな悪徳業者に払う金はないんだよ! 俺はほかを当たる」
 「よしわかった、じゃあこうしよう!」
  そう言ったかと思うと、諦めの悪い自称名探偵は威勢よく声を張り上げた。
 「前金で五万! それでそのシゲルって男の身辺を、徹底的に洗い出してあげるわ」
  突如提示された好条件に、俺は出入口に向きかけていた足をぴたりと止めた。
  浪子は俺から手を離し、自信満々の笑みとともにこう続けた。
 「家族構成から生い立ち、ビジネスパートナーの一人一人まで、きな臭い部分は一ヶ月で調
 べ上げてやるわ。それで文句ないでしょう?」
  その眼光には有無を言わせぬ強い意思が宿されていた。
  俺はこのうさん臭い探偵を信用するかどうかという疑問の答えを、一ヶ月後に持ち越すこ
 とにした。


  花田荘に戻ってからは、ひたすらノートパソコンとの格闘だった。
  格闘といっても、オンラインゲームに興じて時間を潰していたわけではない。求人情報サ
 イトとの睨めっこだ。
  不況だの人員削減だのといった単語が連日新聞の紙面を賑わせていても、働く口がどこに
 もないってわけじゃない。こんなご時世でも、俺のような既卒者に門戸を開いている優良企
 業は数知れず存在した。
  もちろん、大学の卒業者向け就職支援のサイトも、フルに活用させていただいた。
  とにかく、手に職をつけないことにははじまらないのだ。
  腕時計をセブン銀行に売却したことで、俺の通帳には諸経費を差し引いてもなお、百五十
 万円近い預金がある。つつましく暮らせば当分生活費の工面に悩むことはないだろうが、シ
 ゲル打倒のためには、カスミとの共同生活を終えた後のことも考慮した、長期的な展望が必
 要となる。いつ路上に放り出されても困らぬよう、食いぶちは常に確保しておきたい。
  夕食後にはカスミお手製のショートケーキを食べた。俺の二十三歳の誕生日を祝うバース
 デイケーキだ。
  見た目も味も高級デパ地下で市販されているケーキと遜色ない出来で、あらためてカスミ
 の料理の腕前に感心させられた。メイド喫茶なんかで働かずとも、その道を究めるという選
 択肢もあったのではないかと思ってしまうほどだ。
  それにしても、俺も落ちぶれたものだ。
  一年まえはヴェルファイアを店舗ごと貸し切って誕生日を祝ったというのに、この六畳一
 間にミラーボールはなく、オーディエンスも一人しかいないのだから。
  もっとも、過去を懐かしんで気が滅入るのは、今にはじまったことではない。
  たとえば、「百円ショップは凄いんです! ワンコインでなんでも揃うんです!」と力説
 するカスミに連れられて、早稲田通り沿いの百円ショップで缶詰を買い漁るとき。
  たとえば、「五千円以下のシャツはシャツじゃねぇんだよ! ボロ雑巾だ!」との俺の反
 対を押し切って、カスミが週末のユニクロのセールで衣類を大量購入してくるとき。
  またあるいは、俺がごみ箱に捨てたコンビニ弁当の残骸を見て、カスミが「ああ、またこ
 んな贅沢なものを……」と、恐怖におののいた表情を見せるとき……。
  日常生活のありとあらゆる場面で、俺は没落貴族のわびしさに打ちひしがれた。
  こんな屈辱は生まれてはじめてだった。ぼろをまとえど心は錦というが、そんなの知った
 こっちゃない。一刻も早く職を見つけ、こんな底辺の暮らしとはオサラバしてやる。
  大丈夫、俺には長年培ってきた経験と、シゲルがどう根回ししようと消せない、確かな学
 歴があるのだから。
 「見てろよ、今に成り上がってやる……」
  静かな闘志を胸に秘め、俺はこの日も早めに床に就いた。明日も面接だ。


  しかし待てど暮らせど就職先は決まらなかった。
  書類選考や一次面接は難なくクリアできるのだが、二次三次と進むにつれ、面接官にそっ
 ぽを向かれる回数が増えていった。役員面接ともなると手も足も出なかった。
  打ちひしがれて花田荘に帰ると、パソコンの画面上に表示される「今後のご健闘を心から
 お祈り申し上げます」という決まり文句が俺を待ちかまえている。
  出足は順調だった就職活動だが、いつの間にか企業にフラれることが俺の日常と化してい
 た。
  気がつくと、無い内定のまま俺は十一月を迎えていた。
 「くそっ、俺のなにがいけないってんだ……」
  またひとつお祈りメールが受信トレイに届き、俺は蓮コラでも踏んでしまったかのような
 気分でそいつを即座にダストボックス送りにする。
  企業説明会、エントリーシート送付、合同面接に筆記試験。それらは職を得るための、ほ
 んの入口に過ぎない。
  そこから出口を見つけるまでの旅は、驚くほど長く遠かった。途中でこれでもかというほ
 どつまづいて、いいかげんリタイアを宣言したくなってきた。
  大学在学中、あくせく就職活動に励む同級生を横目に、俺は遊んでばかりいた。どうせ俺
 には関係のない話だとタカをくくっていた。なのに今は彼らに役員面接の必勝法を訊ねて回
 りたいくらいだ。そうしたところで、どうせ誰も俺に取り合ってはくれないだろうが。
  ――学歴もコネも、クソの役にも立たないじゃないか。
  就職活動がこんなにも厳しいなんて、思ってもみなかった。
  日が経つごとに、十社二十社と持ち駒が減り、俺の心はどんどん落ちこんでいった。
  スケジュール帳に書き込んだ面接の日程を黒く塗り潰す都度、心まで真っ暗闇に染まって
 いくようだった。
  おまえみたいな使えない男、誰も必要としていないんだよ――ダストボックスに積もりに
 積もったお祈りメールが、俺にそう告げている。仲間だと思っていた連中に見放されたとき
 のことを思い出して、気分は底の見えない泥沼に沈んでいく。
  同時に焦燥感が首をもたげる。
 「ちくしょう……こんなところで足踏みしている場合じゃないのに……」
  ふとシゲルの姿が脳裏に浮かび、厭味な笑顔とともに背中を向け遠ざかっていった。

  どこでもいいから、誰か、俺を雇ってくれ。

  祈るような気持ちでパソコンと向かい合っていた俺の隣で、携帯電話が震えた。
  先日細マユや地味子といっしょに面接を受けた企業からの、次回選考のお知らせだった。


  三次選考は役員クラスの人事二名が相手の、個人面接だった。
  ステップが上がったからといて面接室のグレードが上がるわけではなく、俺は二次選考の
 ときと同じ会議室に通された。
  だが、用意された椅子の数が三つからふたつに減っただけで、狭いはずのその部屋が、や
 けに広く感じられた。
 「とりあえず、あらためて志望動機からうかがっておきましょうか」
 「はい。私が御社を志望したのは、経営姿勢において共感し惹かれる点が同業他社と比較し
 てもっとも多かったからです。中でも関心を持ったのが、ドメスティックな市場の規模を広
 げようと、アジアの市場に着目していること。世界で闘える社員を育成するという理念と、
 資格取得のためのフォロー制度やマンツーマン研修といったキャリアプランニングにも強く
 やりがいを感じて――」
  カスミの部屋でこっそり鏡台に向かって練習したせりふを、丁寧に紡いでいく。途中で気
 を抜くと、緊張で背筋に嫌な汗をかいた。
  白髪まじりの面接官たちは、机の上のエントリーシートに視線を落としたまま、うんうん
 と相槌を打っている。いずれの面接官も表情が乏しく、なにを考えているのかさっぱり読め
 ない。俺の言葉に聞き入っているのか、それとも晩ごはんのおかずに思いを馳せているの
 か……。
  頭の中に平常心の三文字を思い浮かべながら、俺はめげずに懸命のアピールを続けた。
  が、しかし。
  入社したらやりたいこと、という質問に答えている最中に、それまでほとんど言葉を発し
 ていなかった面接官が、突如として俺の言葉をさえぎった。
 「はい、もういいです。わかりました。お疲れ様」
 「は、え? ちょ、ちょっと……」
  思いがけぬ面接終了のホイッスルに戸惑っていると、もう一人の面接官が急に冷ややかな
 態度になって言った。
 「聞こえませんでしたか? もう退室していただいてけっこうですよ」
  やけにあっさりしたもの言いの中に、突き離すような響きがあった。
  俺は平常心の三文字をすっかり失念し、納得できませんと食い下がった。
  二人の面接官はやれやれといった調子でため息をつき、互いに視線を交わして苦笑いを浮
 かべていた。
 「毎年いるんだよねぇ、こういうの」
 「そうそう。うわべだけの言葉を並べるのに必死な、いいとこ出のお坊ちゃんがね」
  二人がなにを言っているのか、俺にはさっぱり理解できなかった。
  椅子から腰を浮かせて硬直していた俺に、卓上の履歴書をボールペンの先でトントンと叩
 きながら、面接官の方割れが語りかけてきた。
 「きみさぁ、言ってることは立派だけど、実際に働いたことないでしょ。そんなんで本当に
 うちでやっていけると思ってんの? こっちはね、大学の名前なんて興味ないの。資格なし
 アルバイト経験なしって、正直社会ナメてるでしょ」
 「そ、そんなつもりは……!」
  なにが面白いのか、二人の面接官はそろってくつくつと笑っていた。
  頭が真っ青になって言葉が出てこない俺に、とどめの一撃が加えられる。
 「顔見りゃわかるんだって」
  さぁどうぞと言って出入口を示され、俺は反論を挟む余地もなく退室を迫られた。
  こうしていとも呆気なく、最後の持ち駒が尽きた。

  意気消沈しながら出た廊下で、細マユとばったり出くわした。
  聞けば、彼もまた前回の選考に合格し、別室で個人面接を終えたばかりなのだという。
  表情から察するに、手ごたえがあったのだろう。こいつは採用されそうだな、とアメフト
 選手のような体育会系の肩幅を見て思った。
  喫茶店に寄っていこうと誘われたが、気分じゃないと言って断った。本当にそんな気分じ
 ゃなかったのだ。
  肩を落としたまま、中央線に乗って中野に帰った。
  十一月のビルの隙間風が、やけに冷たく感じられた。
  花田荘に戻ってパソコンを起動すると、さきほど受けた面接の結果が早くも通知されてい
 た。届いたばかりのお祈りメールを削除したあと、少し泣いた。


 「なんでもいいからきついのを一杯」
 「荒れてるねぇ。大荒れだねぇ」
  いっそ胃もズタズタに荒れてしまえばいいと思いながら、俺は大木戸さんがカウンターの
 上を滑らせたショットグラスに手をかけた。
  酒はいい。一息に飲み干せば、嬉しいことも、悲しいことも、全部洗い流してくれる。百
 薬の長というだけのことはある。
  新宿に店舗移転したマサラは、今日も終電待ちのサラリーマンでおおいに繁盛している。
  目が回りそうなオーダーに追われながらも、大木戸さんはどこか嬉しそうだ。以前、かけ
 つけ一杯でホッピーを頼むような無粋な客がいなくなった、と満足そうに漏らしていたのを
 覚えている。どんな世界恐慌の中でも、福の神が微笑む男はいるというわけだ。
  一方、こっちはやけ酒で荒療治だ。今の俺には、アルコールで心の傷をなぐさめるのが関
 の山だ。シゲルと闘う意思も、這い上がる気力もすっかり失せてしまった。
  とうとう無い内定のまま、就職活動は振り出しに戻ってしまった。
  だが、今さら心を入れ替えてやり直したところで、結果は言わずとも知れている。
  結局俺は、なんでもできると勝手に思い込んでいただけの、なんの能力もないお坊ちゃん
 なのだ。そんなやつに手招きしてくれる会社なんて、このご時世には存在しないように思え
 た。
 「どうせ俺には就職なんて無理なんだ……ニートとして生きるのがお似合いなんだ……」
  カウンターの上に両腕をあずけて愚痴を吐いていると、大木戸さんが見かねた様子でそっ
 と耳打ちしてきた。
 「そんなに仕事に困ってるんだったら、あの人に相談してみたら?」
  泣き腫らした顔を上げると、大木戸さんはカウンター席の隅を視線で示していた。まだ若
 いサラリーマン風の男が、壁際で一人、グラス片手にたたずんでいる。
 「あのお客さん、よくうちに来てくれるんだけど、なんでもIT企業の社長さんなんだと
 さ」
  俺たちの噂話が耳に届いていたらしく、壁際の男はこちらに一瞥を寄越した。
  その顔に見覚えがあり、俺は思わず落ちこんでいたことも忘れ、腰を浮かせて彼の名を呼
 んだ。
 「榊さん!?」
 「……サトシくん?サトシくんなのか!?」
  俺とは遠縁の親戚にあたる大学のOB、榊義雄。顔を合わせるのは数年ぶりだが、爽やか
 な浅黒い肌と意思の強そうなまなざしを見間違えるはずがなかった。
 「え? なになに、知り合い?」
  展開についてこれない大木戸さんを置き去りにして、俺と榊さんは偶然の再会を喜び合っ
 た。互いに肩を叩き、酒を酌み交わして身の上話に花を咲かせた。
  俺が働き口に困っていることを話すと、榊さんは親身になって相談に乗ってくれた。
  今や急成長を遂げるIT企業の代表取締役となった知人は、話の最後でこう切り出した。
 「だったらさ、うちに来なよ」
 「え? それって……」
 「決まってるじゃないか。いっしょに働かないか、ってことだよ」
  口もとに白い歯を覗かせて、榊さんは心を溶かすような真っ直ぐな目で俺を見る。
  ようやく出口を見つけた気がした。 
 
  この再会が、どうしようもない俺の運命を大きく動かしてくれる。そんな予感がした。
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